●鹿島海軍航空隊・尺不足(2009.02.04)

 工事用の道路沿いに歩くと工場は目前に。訓練に使用したのか、鉄棒・・・?
 隣の国立環境研究所と背後の工事現場からの視線に気をつけて、侵入。敷地内には木製電柱が残されている(今も使用中?)。手前の施設は電気関係か。奥の建物は変電施設と言われているが・・・

内部。確かに奥に変電設備がある。

上にはレールが。

レールに水上機を吊るして下の台で作業していたのかも。

航空隊の遺構。これは歩哨楼?

中にはパイプが散乱している。  
或る程度この付近を堪能した後、煙突のある建物へ進む。
 ようやく辿り着いたこの建物は「ボイラー棟」「炊飯棟」といわれている。中々大きい。早速侵入する。
 中に入るとまず目に入るのがこの白い機械である。中々に大きい。これは昭和32年に病院が取り付けたものである。確かにボイラーっぽい(素人目で)。あたりには色々な時代のゴミが放置されている。

こういうメーター計器が好きなんですが、最近見かけない。

 しかしボイラー棟といわれる所以はコレだけではない。我々は入って左に進み、戦争に邂逅する(というかコレが目当てでした)。
 明らかに年代モノな釜。周りの所々補修されているレンガや計器が病院時代も使われていた証拠?建物の左部分の大半を占有している。何に使われていたかは諸説有るが、「炊飯」「ボイラー」「火葬」等が強い。

「東京月島 安藤鉄工所」は現在も海自と関係の有る会社である。

「昭和十四年 製造」1939年はノモンハン事件・アルカポネの釈放など。

この計器は戦後つけたものか。

安藤鉄工所は三式潜航輸送艇なども製造。
 三式潜航輸送艇〜建造は日立製作所、日本製鋼所、安藤鉄工所及び朝鮮機械製作所のボイラー製造工場で、主機の製造は相模陸軍造兵廠、神戸製鋼所、大阪金属工業(ダイキン工業) で行われた。試作一号艇の潜水試験は海軍も招待して行われたが、当初はトリムの調整に失敗し、艦首が沈むと艦尾が浮く、艦尾が沈むと艦首が浮くなどして全 く潜水できなかった。そこで試行錯誤を繰り返し、やがて艦体はなんとか水面下に完全に没したが、今度は単に沈没しただけだった。その様子を見て「落ちた (沈没した)」と見学していた海軍が騒然となる横で、陸軍一同は潜水成功と勘違いし、満面の笑みで万歳三唱する有様だった。幸い、その後一号艇は浮上に成 功して乗員は無事に救出された。(出典:wikipedia)
 帝国陸軍さんさすがっス!


釜の裏側には緑が侵食。
 そして廃墟班恒例の集合写真。巨大なボイラーと釜の前で。わざわざこの為に三脚を持ってきた自分。同行の二人を先に並ばせ、「そこ見えない!」「場所ズレてる!」と傍目から見てしんどい位にキレる。

このボイラーは人二人分の大きさ。

やってる自分達で何がしたいのか不明。

いやぁ、廃墟って本当にいいもんですね〜

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なかよく  してね



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