●鹿島海軍航空隊・後編(2009.02.04)
歩き始めて一時間ちょっと、ようやくそれらしき場所へ到着。柵は病院時代に付けられた物らしいが、門柱と塀は帝国海軍のものだろう。門柱の文字は削り取られていた。航空隊の敷地の半分は現在「
国立環境研究所」がある(左側)。環境研究所の入口に警備員さんが居て、目が合ってしまったので
周囲を回って侵入経路を探す。
右に折れて少し進むと明らかに海軍のものと思われる倉庫が。ここも後部を拡張して使用中のようだ。その前には元在隊者の記念碑が置かれている。ここは他のどこの戦争遺跡より、戦争で若い命が散った場所であることを我々に強く認識させる。というか、
俺たち凄く不謹慎・・・?
扉には開閉可能な通気孔がある
倉庫の周りをを抜け、敷地に沿って存在する「この先行き止まり」の細い道を歩く。先程から塀の向こうに見えるトタンの倉庫を横目に見つつ、というか後回しにして先に進む。
これがあまり取り上げられないのは中に何も無いからか?
そして、遂に目的地の全容を目撃する。ススキ野に聳え立つその建物こそ・・・
「鹿島海軍航空隊司令部庁舎」である。戦後は病院になったがじきに廃墟化した。が、コレは
やんちゃが溜まった結果一階が板張りされていて入ることが出来ないので最重要目標ではない。
残存施設全容
この二つの施設が今日の目的であった。それにしてもなんと寂しい場所なんだ。
取り敢えず、最短距離を進む為に破壊された施設跡から柵をくぐって枯野を行軍する。あたりには少ないながらも人の気配がするので、腰を屈めて進むが、この地に多く生える
クサヨシの茎の折れる乾いた音が当りに少なからず響き、割と焦る。
そしてなぜか目の前をトラックが横切り、テンパった我々は枯野から後退した。
何故トラックが・・・その答えは直ぐに解明した。また先程の道を進むと霞ヶ浦の岸辺に突き当たり、道は途切れた。写真のようにコンクリートで固められた岸辺は航空隊の「スリップ(すべり)」跡である。ここから水上機を進める。今では休日や行楽シーズンに、船を進めたり釣をしたりするスポットになっている(小型のボートが沢山置いてあった)。一応
現在も国有財産である。戦後も60年以上使われ続け、老朽化しているらしく、トラックは護岸工事の資材を運んでいたらしい。